教育委員だより  No.19

平成14年2月7日

小牧市教育委員会 副島  孝

変体仮名は難しい(文化の継承と大衆教育 その2)

変体仮名をご存知でしょうか。そば屋さんの暖簾(のれん)に、「生楚者楚者の部分はくずして書いてある)」と書いてあるのを見たことがあるでしょう。これは「きそば」と読みます。「生」は「灘の生一本」の生です。楚者の部分のくずして書いてあるのは、漢字ではなくて平仮名なのです。今の「そは(ばと濁点をつけないのも昔の書き方です)」の代わりに、この文字が使われた時代があったのです。これが変体仮名と呼ばれるものです。今の平仮名の「そは」は、「曽波」をくずしたものですから違う系統の文字です。「は」の変体仮名には、その他「八」をそのまま書いたもの(片仮名と同じ)や「盤」をくずしたものもよく使われました。つまり、現在の平仮名のように一音一語ではなく、一音に多くの仮名があり、しかも不規則で様々な使い方をしていたのです。

私が変体仮名を知ったのは、小牧市史の編纂に関わって古文書を読む必要が生じた30年ほど前のことです。その時に、漢字以上に変体仮名を読むのが難しいことを痛感しました。今でも、歌碑や句碑などに彫られているものを読むときに、痛感しています。だから、江戸時代に文字を読み書きできた人は当時の世界で最高だと推定されていると聞くと、逆に江戸時代の人はすごいなあと感心させられます。現代人の何%の人が、江戸時代の文字を読み書きできるのかと考えます。昔の人は現代人より劣っていたなどということを全く信用しなくなったのは、このような経験からです。

実は、変体仮名が小学校教科書で正式に廃止されたのは、明治33年(1900年)のことなのです。明治5年の有名なベストセラー「学問のすすめ」の初編も、当時としては珍しく活字印刷なのに、同じ音の平仮名をいく通りにも用いてあるのです。まず現代人には読めません。明治の中期以降まで変体仮名が小学校の教科書に使われていたということは、江戸時代や明治初年の人は勉強すれば、みんなすらすらと変体仮名が読み書きできたのでしょうか。

明治3年に学制が制定され、小学校制度が発足します。しかし、明治時代の小学校は入学しても落第が多く、いつも1年生の数が卒業生の何倍もいたのです。この理由には、当時の進級試験が厳密だったとか、家が貧しくて学校に通えなくなる子がたくさんいた、と考えることもできます。しかし、明治33年から36年にかけて、卒業生が急上昇しているのです(週刊朝日百科「日本の歴史」103号)。変体仮名の廃止がこの変化に影響している、と考えるのが自然ではないでしょうか。江戸時代の寺子屋は一斉授業ではないし、学年制もとっていませんでした。そのため、覚えが遅くても落第ということはなかったのですが、明治の小学校はそういうわけにはいきませんでした。

しかし、それにしても明治33年まで変体仮名が廃止されなかったというのは、本当に驚きです。福沢諭吉やように漢字を制限しようと唱えた文明開化運動の指導者でさえ、変体仮名を問題視していなかったのです。漢字と違って数の限られた変体仮名は、マスターしていた人にとっては何でもないことだったのでしょう。しかし、多くの人々にとっては、大問題だったのです。これを廃止したのは、No.18に載せた沢柳政太郎です。改めて、その偉大さを再認識させられます。また、漢字制限や仮名遣いの歴史を研究した人は多いのですが、変体仮名の廃止のことを体系的に研究したのは、私の知る限り板倉聖宣氏だけなのも不思議なことです。板倉氏は、外国から学んだことを日本に当てはめる当時の模倣的な研究態度や、抵抗なく社会問題とならなかった歴史は研究されにくいことを指摘しています。

2回にわたって個人的に興味のある、全ての人に必要な教育の問題について書いてきたのは、最近騒がしい学力低下論議に違和感を抱いていることが影響しているのかもしれません。子どもや大学生のことがやり玉に挙がりますが、先日(1月25日)の新聞に、科学技術政策研究所が実施した大人の科学基礎知識調査の結果が載っていました。欧米13カ国と比べ下から3位で、15歳の調査とは対照的というものです。出来が悪かったベスト4は、@抗生物質はバクテリア同様ウイルスも殺す、A男か女になるか決めるのは父親の遺伝子だ、Bレーザーは音波を集中することで得られる、C電子の大きさは原子の大きさよりも小さいです。○か×かを答えるものです。フーン、だからどうなのという感じです。本当に学ぶべきものは何かについて、議論が必要ではないでしょうか。

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