教育委員だより No.21

平成14年3月4日

小牧市教育委員会  教育長  副島 孝

学力低下論議に思う(その2)

先回も書いたように、学力低下論の流れの一つは、削減される教科の立場及び大学関係者からのものでした。実は大学改革も、長く我が国の教育改革の大きなテーマでした。入学試験だけに頼り、研究や教育の面で外国の大学に比べて劣るというものです。十年一日のごとく古いノートを読み上げるだけ、などという批判がなされてきました。各大学も入試方法の改善、授業の学生評価、教養課程を縮小し専門課程を充実させるなど、様々な改革が行われてきました。文部科学省は最近、競争と評価を通じて国公私立を問わず「トップ30」の大学を世界最高水準に引き上げる重点投資を行うなどの方針を出し、論議を呼んでいます。

別の面からの学力低下論議があります。その一つは、我が国の教育改革と欧米の教育改革との比較から出たものです。どこの国でも、いつの時代にも、教育は議論の対象です。そして、時代によって振り子のように方向が変わってきました。ただ、欧米の教育改革が教育水準の向上をまず目標としているこの時期に、我が国はむしろ学校機能の縮小を目指しているように見えます。こんな危機の時代にとんでもない。もっと学力をつけなければ、外国に遅れをとるというものです。

もう一つ別の方向からの教育改革批判が出てきました。それは、主として一部の教育社会学者からのものです。それは、もっと階層差に注目しなくては本質を見間違うという主張です。日本は階層差が少なく総中流だと言われてきたが、実は各種の調査によると社会階層の差が歴然とできており、かつ固定化してきているというものです。家での学習時間、学習への意欲や興味・関心の差が、個人差というよりも、生育環境によるというのです。スタートラインは同じで、その後の本人たちの努力や意欲の差で学力差が生じるのではなく、スタートで既に差があり、その後ますます差が広がると主張します。

学力問題について、各種の国際比較調査からは明確に低下しているという結果は出ておらず、依然として世界中で高水準にあります(一部に何位下がったなどと言う人がいますが、統計的には意味のない議論です)。しかし、学習への意欲や塾を含めた家庭での学習時間は先進国中の最低ランクにあるのです。学力低下論議よりも、このことのほうが大問題だというのは、衆目の一致したところです。この原因として一般には、日本が「豊かな社会」になったこと、少子化による受験競争がゆるんだこと、あるいは学歴によって保証されてきた「終身雇用」が崩壊したことなどにより、子どもたちの学習への動機づけの仕組みが働かなくなったからと説明されています。

ここで、先の社会階層に注目する論者は、次のように反論します。それは、一般的な問題の見方である。実際にはよく勉強する子が一定数いる一方で、ほとんど勉強しない子が増えている。しかも、それが社会階層による影響を受けているのだと。これが研究者による学説の差なら、特に注目する必要はありません。しかし、どう見るかによって、どのような対策をとるべきかが大きく変わってくるから大問題なのです。(その3に続く)

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