教育委員だより No.22

平成14年3月11日

小牧市教育委員会  教育長  副島 孝

学力低下論議に思う (その3)

さて、いよいよ対応策です。先回紹介した社会階層に注目すべきだという論者の代表である苅谷剛彦東大教授は、次のように主張します(『階層化日本と教育危機』有信堂)。「下に厚く」を大原則に、教育の初期段階での学習理解度や学習意欲の階層差を極力抑えるため、個別学習や習熟度別学習といった試みが必要である。そのために前提条件は学級規模の縮小だとします。しかし、学級規模が縮小しても、授業理解度のむずかしい教科については、習熟度別の学習集団(必ずしも学級単位を意味しない)を、理解のむずかしい子どもほど少人数になる工夫を取り入れて実施する。とりわけ、学力格差が広がる以前の低学年において、「読み書き算」の基礎をしっかり身につける体制をつくりだすことが肝要であると(他にも多くの提案がありますが、以上のことが特徴的な点です)。

苅谷氏の論点は新鮮ですが、階層差の観点からの対応だけでよいのか疑問です。さて、ではどのような対策を取るべきなのでしょうか。文部科学省が考える対応の中心は、少人数指導やティームティーチングです。算数・数学などの教科で20人程度の規模で教えることや、規模は変えないが複数の先生で指導するというものです。いずれも、これまでの一斉指導では指導しきれなかったところを、少人数に分けることや、複数の教員で見ることによって補おうという方法です。このための教員は文部科学省から加配されますが、その数はとても十分なものではありません。そこで、自治体によっては、非常勤講師を独自に雇ったりしています。

ただこの方法は、根本的な解決ではありません。学級の規模はそのままで、教科により少人数にすることは、現実の指導では問題が多いのです。学級規模を小さくするためには、教員の増員や校舎の増築などに1兆円以上が必要だと言われています。この財源難の時代に、そのための予算増が認められるためには、国民の合意が不可欠です。学級規模については、都道府県教育委員会の権限ですので、県が独自に予算措置する方法もありますが、今の愛知県にその余力を期待することはかなり困難だと思われます。

そうなると、小牧市にできることは何でしょう。どのような方法をとるかは別として、まず基礎・基本だけは子どもたちに確実に身につけてもらわねばなりません。それも、できれば学習の楽しさを伴いながら(そんなことは俗流教育心理学者の無責任な「子ども中心主義」に過ぎないと、苅谷氏には批判されそうですが)。また、基礎・基本だけでなく、教科や総合的学習で課題を追究するなかで、追究の方法や醍醐味を体験させることが必要です。これまでも日本の教育は、教師の創意工夫によって支えられてきました。少人数指導にしても、習熟度別指導にしても、総合的学習にしても、新たな創意工夫がなければ成果は期待できません。

教師に責任を負わせるだけでは無責任だ、という声もあります。もちろん、そのための条件整備が必要です。しかし、市がとる条件整備は、国や県のものとは異なると私は考えています。だいたい日本中の学校が同じ状況にあると考え、同じ処方箋を書くこと自体が非現実的だというのが私の考えです。もっと言えば、同じ市内でも各学校の問題点は同じではありません。同一校でも、毎年同じ課題であることの方が珍しいのです。時代に共通する課題には当然配慮しながらも、各学校が責任を持って、真に必要な措置を取ること重要です。そのための条件を用意するのが教育委員会の責務であると考えます。学力の問題でも、全く同じだと考えます。

小牧市では、現在議会で審議いただいている最中ですが、4月から市の予算で非常勤講師を全校に配置することを予定しています。それも、画一的に目的を規定しないで、各学校が本当に必要な目的を考えて活用してほしいと考えています。各学校でさまざまな活用方法が考え出されるのを期待しています。また、多くの現場の先生方や学識経験者や保護者代表などの方々のご協力でやっと完成した『小牧市教育ビジョン推進計画』を、近日中に先生方に配付する予定です。これは、昨年度の『教育ビジョン』の具体化であり、現場の先生方の実践の手がかりとなるものだと考えます。

総合的学習の成果の一端は、10日に行われた「環境祭」での小中学生からの提案に示されていると感じています(こういう学校外での発表を積極的に行うことが、学力低下批判への最強の反論になります)。来年度は、現場の先生方の新たな自主的な勉強会も始まると聞いています。日本の教育研究には不十分なところも少なくありませんが、非常に進んでいるものもあります。研究のための研究でなく、本当に役立つ研究がこの機会にはっきりしてくるのではないでしょうか。だれかに命じられて行う研究ではなく、自分が必要とすることを研究することが真の成果を上げると、私は自分の経験から確信しています。

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