教育委員だより No.23

平成14年3月14日

小牧市教育委員会  教育長  副島 孝

人権侵害?

この連載で、触れないわけにはいかないことがあります。先日の市議会本会議で質問され、新聞でも報道された「卒業文集の削除問題」です。私ももとの原稿を見せてもらいましたが、文章自体は別にどうというものではありません。該当中学校の校長先生も同じ判断だったと聞きました。しかし、3年生の先生方は、卒業生との関係から、このまま載せることは危険だと進言しました。校長は書き直させるなら本人の納得をと、指示されました。そして、本人が打ち直したので(多くの中学校の卒業文集は、まず原稿用紙に原稿を書き、それを本人がワープロソフトで打って文集の版下を作成します)、納得が得られたと判断してしまったということです。

実は、質問のある日の朝、ひとつだけ気にかかっていたことを該当校の3年生の先生に電話で尋ねました。それは、卒業後の本人の身の安全を考えると、3年生の部分を膨らまして書くようにしたほうが良いという判断は、担任や学年主任だけの判断なのか、他の3年生の先生の意見はどうだったのかという点です。答えは、学年の先生全員が同じ判断だったということです。それなら、納得が得られたと思い込んでしまったことは反省点であるが、危険性に関しては該当生徒と卒業生たちの状況をいちばん知っている担当者の意見を尊重しなければならないと、私は確信しました。

確かに、教育行政や学校は公権力を持つ存在ですから、批判を受けたり、チェックをされたりすることは当然のことです。ましてや、教育という営みは、おおげさに言えば、より良い存在を求めて自己否定、自己変革を促すことの繰り返しです。だから、互いに100%の満足は無く、常にあれでよかったのかという反省や後悔の繰り返しです。

今回の事例も、あれが最善だったと思っている当事者は、誰もいないでしょう。本人や保護者の無念さを思うと、胸が痛みます。そのうえで、この方法をとらざるを得ないと学年の先生方は考えたのでしょう。その判断の是非は、議論の余地があると思います。プライバシーの保護のうえから、状況の詳しい説明ができないので困るのですが、本人と担任とが話し合う時間が十分取れ、またそういう人間関係が保たれていた状況ならば、あのような結果は避けられたと思います。

一方でこれほど身の安全を第一義に考えた状況があったのにもかかわらず、議会という公の質問の中で、本人の具体的な進路に関わる部分まで原稿どおりに読み上げられたのには、ショックを受けました。関係者なら、すぐに該当者を特定できる内容だからです。本当は許されないことかもしれないと思いながら、「本人が特定できる部分まで読み上げられたのには、驚きました」と答弁の中で発言しました。それに対し、「具体的な名前を言っていない」とのお答えで、人権意識の違いに唖然とするばかりでした。ホームページに載せる子どもの写真の肖像権まで論議している、現在の学校現場の人権意識とのずれを痛感しました。

「価値観の多様化」という言葉をよく聞きますが、これほど実感したのは初めてのことです。「人権の尊重」のとらえ方でさえ、このような相違がある状況の中に、教育の現場はあります。だからといって、あたらず触らずの教育で済む時代ではありません。ぜひ、学校の先生方は信念を持って、しかも子どもや保護者との話し合いの機会をできるだけ持ちながら、教育にあたっていただきたいと願っています。それが月並みですが、今回の件で私が実感したことです。

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