教育委員だより No.27

                                                                          平成14年4月30日

                    小牧市教育委員会教育長  副島 孝

『文章読本さん江』を読む

この斎藤美奈子著『文章読本さん江』(筑摩書房)は、複数の書評を目にしたときから読みたいと思って、早速注文した本です(そういう本が近所の本屋さんに並んでいることの方が珍しく、注文した方が早いという経験を何度もしていますので)。書評のとおりすばらしく面白い本で、あまたの文章読本(とその著者)を槍玉に挙げて、その隠された側面を暴き立てた傑作評論です。しかし、私が目にした書評では触れられていなかった内容が、私には最も興味を引くものでした。それは後にして、まずは内容紹介から。


著者は数ある文章読本のなかから、文章読本界の御三家として、谷崎潤一郎『文章読本』、三島由紀夫『文章読本』、清水幾太郎『論文の書き方』、また新御三家として、本多勝一『日本語の作文技術』、丸谷才一『文章読本』、井上ひさし『自家製 文章読本』を勝手に選定します。全部読んだ覚えがあるのが恥ずかしいのですが(「が」を安易に使うなと、清水幾太郎は強調していたなあ)、文章読本の類をいくら読んでも文章がうまく書けるわけではないという証拠の一つにはなります。


あまたの文章読本でよく出会う教訓を、著者は心得・禁忌・修業法に分けて示します。まず文章読本が説く五大心得は、1 わかりやすく書け、2 短く書け、3 書き出しに気を配れ、4 起承転結にのっとって書け、5 品位をもてです。次に文章読本が激する三大禁忌は、1 新規な語(新語・流行語・外来語など)を使うな、2 紋切り型を使うな、3 軽薄な表現はするなとなります。最後に文章読本が推す三大修業法は、1 名文を読め、2 好きな文章を書き写せ、3 毎日書けです。当然のことですが、この一つひとつにいちゃもんを付けます。これが面白い。これを読むだけでも、本代の価値があると思えるほどです。


文章読本の裏には、次のような価値観があると著者は主張します。A 文章(書きことば)は会話(話しことば)よりも上位である。B 印刷された文章は印刷されない文章(手紙や日記)より上位である。C 文学作品が最上位で、新聞記事はその下、最下位は素人の作文である。これには、印刷メディアの力もあるが、近代の作文教育によって植えつけられた発想だったのではないかと言うのです。人々が文章読本を手にする背景には、学校作文への根強い不信感があり、「自分はちゃんとした文章が書けないのではないか」という漠然とした不安があるからこそ、学校を卒業してなお文章のハウツー本を手に取るのではないかと指摘します。

 
そこで著者は、学校で行われてきた作文教育の歴史を振り返ります。私も教師の端くれでしたので、戦前の綴り方教育や自分も経験した戦後の作文教育の歴史を大まかには理解しているつもりでした。しかし、明治以降の作文教育の歴史を、これほどきちんと整理してもらったのは初めての経験でした。明治30年代までの作文指導は、驚くほど徹底した内容軽視、形式優先でした。明治33年の小学校令改正を期に、「作文」は「綴り方」に名前をかえ、お手本をまねて文章を作る「作文」から、生活体験を綴る「綴り方」へと大変身します。大正時代には「随意選題論争」や「赤い鳥綴り方」を経ながら、「綴り方」は盛んになります。昭和にはいると「生活綴り方運動」が、反体制運動として逮捕者がでるまでに至ります。戦後は「綴り方」という教科名は消え、「作文」に統一され、しかも国語科の一分野となります。昭和30年には読書感想文コンクールが始まり、またたく間に全国に広がります。この歴史を、小気味よく解釈しています。


機転のきく子が教師の求めに応じて「自己変革したふり」の感想文や、「あるがままのふり」「思った通りのふり」のイベント作文を書いて、まんまと作文優等生になる。「思った通り」「あるがまま」を馬鹿正直に遂行しようとした子どもは、いい点が取れない。こんな虚偽にみちた作文教育を6年も9年も受けてきたら、学校作文不信にならないほうがおかしい。大人の文章読本は、この穴を埋めるものとして要請されてきた面が大きい。このように筆法鋭く従来の作文教育を批判する一方、著者は今年から完全実施の新学習指導要領の伝え合う力(情報伝達能力)の指導に期待感を表明します。


良質な評論がもつ読後感の醍醐味を、久々に味わいました。以前『日本語の作文技術』がベストセラーになっていたとき、「本多勝一は貴族的だね」と知り合いの編集者に言われて、逆だと感じていた私には意味がよく理解できなかったことを思い出します。この本を読んで、四半世紀経ってやっとその編集者の言葉の意味が理解できました。こんなに面白い本を読んだのに、プロフェッショナルとしての感覚を自分は果たして今もっているのかと反省したことでした。

目次へ戻る