教育委員だより No.38

                                                         平成14年9月5日

                                                小牧市教育委員会教育長  副島孝

『りんごは赤じゃない』を読む

別の媒体で読書記録的な文章を連載しだして以来、このたよりで本を取り上げていませんでした。たまには読んだ本について語りたいと思います。今回取り上げた本は、山本美芽著『りんごは赤じゃない』(新潮社)で、「正しいプライドの育て方」というサブタイトルがついています。読む前までは、著者がこの本に書かれた中学校の美術授業の教師だと思っていましたが、実は著者はライターで、主人公は太田恵美子という神奈川県の公立中学校の教師です。

太田の美術実践が有名になったのは、まず美術で教える生徒たちが中央のコンクールで入賞者を輩出し続け、ついには本人が審査委員長を務めるまでに至った指導力にあります。しかし、それだけでなく、自分で選んだテーマを調べる「調査研究」を全生徒が熱心に取り組んだことにもあります。現在、中学校での美術の時間は(1年生で2時間になる学期や、生徒によっては選択教科で選び2時間になることはありますが)各学年週1時間ほどです。そのなかで、現在の「総合的な学習」に通じる実践を、全学年で行ってきたのです。

一昨年度末に定年退職した太田の授業を見た人たちは、花と緑にあふれた美術室の壁に隙間なく飾られた色鮮やかな卒業生や在校生の作品に驚いたと言います。また、一人ひとりの生徒がみんなの前で誇らしげに自分の絵を掲げ発表する姿や、聞き手の生徒が真剣に同級生の発言に耳を傾ける様子に、さらに驚いたと言います。どうしてここまでに至ったのかをまとめた本ですが、本人が書いたのではないため、構成が勝ち過ぎている印象もありますが、本人では書きにくい部分まで書き込んであります。

指導のプロセスは、次のようです。まず、とにかくほめる。生徒の中に眠っている、ほめる材料を引き出してほめる。一人だけでなく、全員をほめる。こうして、ふざけ半分の態度を誰一人とらなくなって集中した状態になると、授業が始まる。1年生の最初は、スケッチブックに草、月、太陽、星を描かせ、問いかける。「ほんと? 草はそんな形をしているかしら? 月や太陽や星もそうかしら?」「クツをはいて! 外に出て、草がほんとうにそんな形をしているか見てごらん!」こうして、先入観がいかに間違っているかを自覚させることから始めるのです。

雑草を描いて「目からうろこ」体験をした1年生は、次に野菜や果物のレプリカを作ります。発泡スチロールを削り、そこに粘土を貼って、本物そっくりな作品をめざすのです。モデルにする野菜を見ながら、こう質問します。「りんごは何色?」「赤!」得意になって、子どもたちは元気いっぱいに返事をします。「ほんと?」生徒たちは、まだ固定観念から完全には自由になっていないのです。りんごの色が赤ではなく、黄色やみどりをはじめとして多彩な色が混ざり合っていることは、「りんごは赤」という先入観をとりはらって、はじめて見えてくるものなのです。

雑草を描き、野菜や果物のレプリカ作りまで到達すると、いよいよ授業は本題に突入します。作品づくりは、まず徹底的な「調査研究」から始まります。描こうとするテーマに関して資料を集め、それをスケッチブックに文章で書く。期間でいうと、調査研究に2か月、作品作りに1か月。画家が1枚の絵を描くために何十枚もアイデアスケッチをする様子に似ています。はじめての作品づくりのテーマは「環境問題」。人間が地球を汚し、自分も加害者のひとりなのだという自覚を持たせると、生徒たちは自分自身の問題として考え、やらされているという意識が起こらないからなのです。また、調査の過程では、徹底的にほめ、認め、一切ケチをつけません。生徒たちは言うそうです。「気が付いたら太田先生の美術にハマっていた」と。

「総合的な学習」が全国すべての学校で行われていますが、そこでの最大の問題点は、追究意欲のわく課題をどのように見つけていくか、そして、追究意欲をいかにして継続していくかにあります。その意味で、この本は非常に参考になります。それでは、太田の方法をまねれば生徒たちは同じように熱中していくでしょうか。同じ学校で、「いい子ね」を連発したり、握手したり、太田のマネをした先生がいたが、生徒からは反発されたそうです。家庭まで犠牲にして美術教育に取り組んだ太田と、その方法だけをまねる教師を生徒たちはすぐに見破るのです。

ここに、この種の本を読む場合の注意点があります。この種の実践は、誰にでもできることではないのです。それは、これだけの成果をあげた太田が、同じ学校の教師や管理職からは最後まで温かい目で見てはもらえなかったことからも想像することができます。そんな周囲の教師たちを批判することは簡単です。しかし、カリスマ教師を基準にして、現実の目前の教師を批判するだけでは何も変わらないのです。この本から学べることは、やり方次第ではここまでできるという教育の可能性と自分の実践への啓発なのです。たいして立派な教師でもなかった私が時にこうした本を手に取るのは、それを再確認したいからかもしれません。

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