教育委員だより No.59

                                                                  平成15年6月30日

                                                小牧市教育委員会教育長  副島孝

『教育を経済学で考える』を読む

タイトルを見ると、「教育にも市場メカニズムを活用せよ」などと書いてあると思われるかもしれません。しかし、その予想は大きく外れます。教育学者が皆同じ意見ではないと同様、経済学者もそれぞれに見解が異なるのは当然です。著者の小塩隆士氏は、経済企画庁やJ.P.モルガンを経て、現在は東京学芸大の助教授という経歴です。官庁や外資系の会社を経験した人ですが、決して教育の世界に暗いわけではないと想像できます。

教育バウチャー(個人補助金)制度や学校選択の自由化など、一見目新しそうな、経済学者が好みそうに思える提案を、著者は否定します。最も批判しているのが、教育内容のスリム化(ゆとり教育)です。いずれも格差拡大をいっそう拡大する危険性が高く、公共性の観点から是認できないとするのです。国民から強制的に徴収する税金で運用される公教育を、出来のよい、さらにその中で親の所得が高い子どもほど有利に働く仕組みにすることは、効率性の観点からは是認されても、公平性の観点からすると問題であるとします。

逆に、成果の評価や具体的な進め方には慎重な検討が必要としながらも、能力別クラス編成に賛成します。教育界では文科省をはじめ習熟度別と呼んでいますが、憲法でも、教育基本法でも「その能力に応じ」としていると、著者の主張は明解です。「躾のできない親に育てられ、テレビゲームと携帯電話づけになり、勉強することを忘れつつある子どもたちこそ、国民の税金を使って救われなければならない。出来のよい子どもは放っておいても自分で勉強する。また、その親が勉強させる」このあたりの論理は、苅谷剛彦氏と共通したものがあります。

これらの見解から、現行の教育の仕組みを変える必要はないと主張しているのかなどと、受け取ってはなりません。教育論議にままある、本音とは別の建前的理想論を廃し、「教育には強制力が伴う」、「教育は子どもを序列化する」、「教育需要は親の勘違いが支える」など、実に現実的に教育の議論を分析するのです。反面、市場メカニズムは、個人が合理的な判断をするという想定の上に立ってようやくうまく機能するものなので、こと教育に関する限り全面的な信頼を置けないとします。

個人的には、第2章の「教育は投資か消費か」に、経済学的分析の醍醐味を味わうことができました。教育論議はえてして、本当に教育に望まれていることは何か、教育の使命がどこにあるかを、あいまいにしてしまう傾向があります。経済学、中でも財政学は、限られた財源をどのように有効活用すべきかという視点で、すべての公共政策の中で公教育の果たすべき役割を考えさせてくれ、参考になりました。

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