教育委員だより No.74

                                                                  平成16年1月15日

                                                教育長 副島孝

ラスト・サムライと『学校でまなびたい歴史』

年末年始は、久しぶりに何も計画せず、毎日のんびり過ごしました。したことといえば、話題の映画「ラスト・サムライ」を見に行った程度です。「ラスト・サムライ」は、ハリウッド映画にありがちな日本人が見ると腹が立つような無理解が見られない、よくできた映画でした。南北戦争の英雄で、「原住民討伐」に失望し、酒におぼれるトム・クルーズ演じる主人公オールグレンが、明治維新直後の日本へ平民の軍隊訓練のため招かれるという設定は、よく考えられたものです。もちろん余りにも出来すぎのストーリーで、渡辺謙演じる勝元(西郷隆盛をモデルにしているらしい)をはじめ、登場人物が類型化されていると批判することは可能です。しかし、それは映画にとっては当然のことで、むしろよく描けていることを評価すべきでしょう。近代化に走る取り巻きに動かされる若い天皇に、半ば失望しながらも武士道を体現する勝元に、捕虜になったオールグレンはひかれて行きます。

ところで、のんびりできた休み中に読んだ本の中に、ちょうどこの映画が描いた時期、大久保利通、西郷隆盛、木戸孝允が登場する「廃藩置県に賛成か反対か」の授業が出てくる、『学校でまなびたい歴史』(齋藤武夫・扶桑社)がありました。著者は、自由主義史観研究会副代表でもある小学校教師です。私にとっては、創刊号からとっている教育雑誌で、(その雑誌には珍しく)硬派の文章を書くことで以前から印象に残っている著者でした。この本は、彼の小学校での歴史教育の実践をまとめたものです。自由主義史観研究会と聞くと、最初から敬遠する人もいるかもしれませんが、彼はその中で最も良質な実践家だと、私は思っています。

授業の実際を描いた内容、なかでも子供たちの討論の様子を読むと、並々ならぬ力量の持ち主であることがわかります。この会の人が書くもののには、授業というものがわかっていないのでは、と感じさせるものもあるのですが、彼の歴史授業の組立ては教師なら非常に参考になるものです。ただ、教師の意図する方向に子供たちを引っ張っていこうとする姿勢が強すぎることには、違和感を持たざるを得ません。教師の願いはあって当然ですが、それはあくまでも子供たち自身が判断し感じ取るもので、それ以上の仕掛けは避けるべきだ、というのが私の考えです。

特に第1章「歴史の中にはご先祖様が生きている」に、強くそれを感じました。「先祖の人数を計算していくと、鎌倉時代の推定人口よりも、私一人の先祖の数の方が多くなってしまう。私たち日本人は千年もさかのぼればみな親戚だということなんでしょうね」という話を聞いて、日本の歴史は自分とつながるものだという意識を持たせる授業です。これは興味深い実践ですが、最後の相田みつおの「自分の番いのちのバトン」の駄目押しが強すぎる、と私には感じられるのです。著者は逆に、「おかげで、授業のしめくくりがたいへん印象深いものになった」と書いているのですが。ちなみに、先祖の人数の話の出典が示されていませんが、(著者の周囲には知っている人がいるはずの)城雄二氏の(当初は道徳用とされた)「親類」という授業書案です(後になって、遺伝子で有名な生物学者ドーキンスの著書にあることを知りました。出典をたどることは、難しいことだと思いました)。

そのように、私にとっては問題点も感じられる本ですが、少なくとも社会科を教える教師なら、ぜひ手にとって読んでいただきたい本です。結局は講義式の教師が説明することでしか進まない、だから子供たちからは意見の出にくい授業ではなく、こういう組立てを考えれば子供たちは考え出し発言し出すのだという見本を示してくれています。そして、授業づくりの醍醐味と奥深さも実感できることでしょう。批判するなら、これを超える実践をしてからにしろ、と堂々と著者は主張しているかのようです(もちろん、そんなことは書かれていませんが)。

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