教育委員だより No.79

                                                                  平成16年2月25日

                                                教育長 副島孝

『カウンセラーは学校を救えるか』を読む

事件などが起きたとき、教育委員会がスクールカウンセラーを学校に送り込むと報道されることが多くなりました。このことに、マスコミも市民も教育関係者も、疑問を抱くことはほとんどありません。しかし、それは「こころの専門家」に預けて責任を免れようとする無責任な姿勢の現れだと指摘するのが、この刺激的なタイトルの本『カウンセラーは学校を救えるか』(昭和堂)です。著者は、吉田武男・中井孝章という二人の教育学者です。吉田氏は、小学校教師の経験もある方です。サブタイトルの「『心理主義化する学校』の病理と改革」が、著者らの立場を雄弁に物語っています。つまり、いじめや不登校、少年犯罪などの問題を、「心のケア」によって対処すべき心理学的問題に矮小化し、スクール・カウンセラーの導入が特効薬であるかのような幻想が社会全般に普及していることに、異議を申し立てているのです。同時に、学校現場で支持を集めている、構成的グループエンカウンターにも、著者らはかなり否定的です。

確かに、扱いの難しい子はカウンセラーに、専門家に、専門機関にという傾向が、現在の学校や社会の中にないとは言い切れません。著者らは、それに対して警告を発します。心理学用語、例えば「居場所」「癒し」「こころのケア」、また新しい概念として、「トラウマ」「アダルト・チルドレン」「外傷性ストレス障害(PTSD)」など、「こころの言葉」が氾濫しすぎている、新たな用語、概念が生み出されることで、適切な対応が可能になればよいのだが、実はレッテル貼りをすることにより、当の子供たちは「まるごと」としての存在から、カウンセラーを必要とするひ弱なクライエント(顧客)にされてしまっていると。カウンセラーのやっていることはマッチポンプだ、とまで言い切ります。

限られた時間で、ただ人の話を聴くことで問題が解決するはずはない、日常生活に寄り添いながら自ら範を示す教師の「生き方」の指導こそが、そのような子供たちに必要とされていると、著者らは言うのです。「こころの専門家」としてのスクールカウンセラーに手のかかる子ども預けてしまうようになった結果、学校や教師集団の自助作用が弱められ、ひいては学校や教師の社会的権威と信用が加速度的に低下させられてしまった。また、さまざまな心理学関係資格のなかでも、臨床心理士だけが異常に強調されていると指摘します。確かに、認定臨床心理士会に偏重しているとの批判は、以前から一部では指摘されていました。

しかし、批判がすべて的を射ているとは言い切れません。カウンセラー導入の結果、教師が指導の方向と方法に自信を持って取り組めるようになるという、望ましい協力関係ができてきた学校も少なくありません(もちろんカウンセラーに過度の期待を抱く結果、思うような成果がでないと不満を持つ学校もあります)。本書で著者らから改革案として提案されているものは、学級及び学級担任制の重視、補助教員等のサポート、スクールソーシャルワーカーの導入、そして教員のライセンス制や免許更新制と年俸制への移行などです。ひとつの考え方ではありますが、実現性や有効性には疑問を抱かざるを得ません。むしろ、教育学の現状はどうなんだと、突っ込みを入れたい気もするほどです。

本書から学ぶものは、まず何でも原因を「トラウマ」「アダルト・チルドレン」「外傷性ストレス障害(PTSD)」などと「こころの言葉」に寄りかかったり、LDだADHDだとレッテル貼りをして、自分の守備範囲外だとするのではなく、教育の専門家としての教師(町医者という表現が使われているが、言いえています)の自覚を再確認することと、カウンセリングが万能ではないという意識を持って、有効なカウンセラーとの協力関係を築き上げることではないでしょうか。

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