教育委員だより No.99

                                                                  平成16年9月27日

                                                教育長 副島孝

シンポジウム「転機の教育」に参加して

先週18日、朝日新聞社で行われたシンポジウム「義務教育どう変える−地方分権の流れの中で」に参加しました。正直に言うと、この手のシンポジウムは意見の言い合いに終始し、実りがないことが多いのが普通です。だから、これまであまり参加したことはありませんでした。今回、わざわざ東京まで出かけて参加したのには二つの理由がありました。一つは、コーディネーターが苅谷剛彦氏で、きっとそれなりにかみ合った議論を見せてくれるだろうと思ったこと。二つ目は、小牧市でもいろいろな面でパートナーになっていただいている大西貞憲氏が、パネリストの一人であったことです。

 シンポジウムは、予想どおりの展開を見せました。どうしても拡散しがちな議論を、苅谷氏がうまく方向付けていました。個々の問題点を追究するのが目的ではなく、「地方分権と中央集権という単純化された二分論で、抜け落ちるものはないだろうか」、「国・地方公共団体(都道府県・市町村)・学校の役割を考える際に、どういう問題点があり、どういう論点が必要か」を考えるのが今回の目的であると、節目節目で示されました。立場も違い、考え方も違うパネリストが揃うメリットをよく活かしており、参考になりました。

 パネリストは4人で、文部科学省大臣官房審議官の樋口修資氏、埼玉県志木市長の穂坂邦夫氏、前富士市立岳陽中学校長佐藤雅彰氏、それに教育コンサルタントの大西氏です。樋口氏は教育行政の責任を独りで追及された形で、同情される役回りでした。しかし、国は間違いなくやってきたという主張は、むしろ反発をかうだけという事実は証明されました。今回都道府県の行政担当者が参加しておらず(参加要請はされたそうですが)、地方分権の中身の議論がもう一つ深まらない原因となりました。

 会場の支持を集めたのが穂坂市長で、これまでのキャリア(県・市職員・市議・県議)を生かした明解な発言は、非常に納得できるものでした。教育委員会必置規定の廃止などの主張から、強引に教育行政をかき回す人というイメージを私は持っていました。しかし、現行の教育委員会制度に反対なのは実施主体に責任がとれる仕組みがないからである、教育の機会均等はミニマムスタンダードとしないと教育の中央集権化の弊害が出る、教育を争点に選挙をするべきではない、首長が教育の責任者になるべきではないなどの発言から、ずいぶんイメージが変わりました。

 佐藤前校長は、さすがに広見小学校や岳陽中学校を改革した方だけあって、学校の多忙な現状を訴えた後、自分の学校での授業実践を通してのみ教師は育つのだと強調されました。そのためには、校内研修システムの大改革(学校としての学びの理論を持つ、全員の先生で授業研究をする、全員の先生で検討会をする)をし、質の高い授業によって不登校や非行問題を克服することしかないと話されました。

 大西氏は、教職と民間企業での経験をもとに、民間の手法を生かすにしても、経営効率を追求する方法やプレッシャーをかけて学校を競わせる競争原理ではなく、協力原理で子供たちの力を引き出すスキルを教師が身につけていくことの重要性を強調されました。そのために校長には、コストパフォーマンスを考え、先生たちの力を生かしていくマネジメント能力が必要になるのではないか、またその能力を養成する手だてが必要だとの見解を示されました。

 9月30日付けの朝日新聞朝刊に、2面にわたり内容が掲載されるそうですから、議論の流れはそちらの方を参考にしてください(4時間もの議論ですので、要約はずいぶん大変だと思います)。私が最も印象深かったのは、会場に集まった人たちの文科省や教育委員会に対する不信感や反感です。そこには、誰か悪者をさがして責任を押し付けるという傾向がないとは言い切れないのですが、しかしそれでも、この不信感の存在を無視しては何も達成できないと痛感しました。 

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