教育委員だより No.114

                                                                  平成17年3月7日

                                                教育長 副島孝

100万語英語多読報告2

どうして英語多読が長続きしたかは、内容自体におもしろさ楽しさがあったからだということは、先回書きました。もう少し詳しく言うと、日本語に訳して理解するのではなく、英語そのままで何ページも読んでいるときがあるのです。この経験は初めてでした(今でも少し分かりにくい文章だと、すぐ日本語に直そうとしてしまうのですが)。もう一つ長続きの理由があったと考えています。それは、目的がはっきりしていたことです。

この方法の目的は、ペーパーバックスなどが読めるようになりたいというものです。日本語で読みたい本はたくさんありますが、英語にもたくさんあります。私には向いている考え方でした。よく英語という教科は、学ぶ目的が明確だと言われます。しかし、本当はそうでもないと私は感じています。外国人と自由に話したい、英語の歌を歌えるようになりたいなどの目的は、私には学び続ける理由としては弱いものでした。ごくたまに行く海外旅行で使う程度ならカタコトでも済みますし、留学や仕事で使う人がそんなに多いとは思いません。

目的がはっきりしていれば、学び続けられるわけではありません。継続するためには目標が必要です。この方式のうまいところは、100万語という誰もがめざせる数値で目標を立てたことにあります。英語多読では、読書記録をつけて読んだ語数を累計します(読み終えた時間も記録してスピードの進歩も数値化するようになっていますが、ちょっとした細切れ時間を使ったり、読みながら寝てしまうことの多い私には無理で、すぐにやめました)。語数を累計する方法は確かに励みになります。少しずつ増えていくのは、うれしいことです。

しかし、人間は複雑ですね。なかなか進まない焦りも、ときどき生じてくるのです。私の場合は、40万語と80万語あたりで、イライラしてきました。内容を楽しむよりも、結果を出すことに関心が行ってしまうのです。しかも、本来の読む力がつけるという結果ではなく、累計語数という手段が結果のように思えてくるのです。こうしたやり方で子どもたちの意欲を高めることを私もよくやりましたが、こんな一面があることは自分で経験して初めて気がつきました。

この英語多読を学校、特に中学校での英語授業に使うことは、かなり難しいように思います。でも、選択英語なら使えないことはないと思います。提唱者の酒井邦秀さんは、ご自分でも大学だけでなく高校や中学校で試しているそうです。この方法には限らなくても、英語を学ぶ目的や楽しさを経験させる方法は必要だと思います。なんとか英語100万語を達成した現在、多分これからも楽しみの一つとして続けていけるのではないかと感じています(私のことだから案外、もうやってないよということになるかもしれませんが)。

目次へ戻る