教育委員だより No.139

                                                                  平成1815

                                        教育長 副島孝

上海再訪

年末年始に、23年ぶりに上海に行きました。23年前には、北京から敦煌、ウルムチ、トルファンとシルクロードをたどり、帰りに上海に寄りました。当時から上海は、世界一と言われる人口を有した都市でした。朝になると自転車の大群が現れ、広い道路を埋め尽くしていました。それが今では自動車に取って代わっています。高速道路や高架道路も建設されましたが、車線変更や交差点での右左折などスリル満点という状況です。また、租界当時のビルだけが目立つ街並だったのが、さまざまなデザインの高層ビルやマンションの建ち並ぶ大都会になっていました。

中国の経済発展の様子は、これまでも報道されています。だから理解はしていたのですが、現地を見て実感できたことが多くありました。高度経済成長を経験してきた目から見ると、急成長時代の日本を見ているような感じがしました。ホテルが上海駅の近くだったこともあり、地方から出てきた人の姿もよく見ました。都会と地方との経済格差、貧富の差、環境問題など高度成長につきものの現象は、当然ながら明らかです。おしゃれな人が多い反面、物乞いの姿もよく見かけました。

社会主義国でありながら改革開放政策をとっているため、外見的には資本主義国と変わりません。国営企業を含めて必死の経営努力を行っているようですし、外国企業も目立ちます。ケンタッキーフライドチキン(肯徳基)が街角ごとにありますし、ブランドショップも建ち並んでいます。しかし、まだまだ労働力が安いのでしょう、どこでも従業員が非常に多いのが目につきます(それだけ日本では、余分な人を雇わないようになっているとも言えます)。

23年前と同じところに、今回また何か所か訪れました。最も驚きだったのが、蘇州市にある寒山寺です。以前はまったく寂れ、寒山拾得(森鴎外の短編で有名)と張継の漢詩(月落烏啼霜満天…)の石碑だけが目立つくらいの寺でした。それが今では、五重塔まである立派な僧坊となっていました。お参りする人も多く、周辺に整備された商店街も含め賑わっていました。上海の文廟(孔子廟)が閑散としていたのとは、対照的です。

仏像は新しいのか、それとも修復したのか、金に覆われていました。日本人から見ると違和感がありますが、もともと仏像はお釈迦様の全身が金色に輝いていたことに由来しているので、日本のお寺の仏像も当初は多くが金色だったはずです。また境内には弘法堂が建てられ、三蔵法師と鑑真和上と弘法大師(空海)の像が祀られているように、日本からの寄付が大きく貢献しているようです。拙政園などの庭園もよく整備され、世界遺産になっていました。

町中には5,6階建てのきれいな中学校もありましたが、計画経済の時代から重点学校と呼ばれるエリート校のようです。義務教育にもかかわらず、成績や品行に加えて、多額の入学金が必要だそうです。下校時間には、校門に迎えの人が群がっていました。町を歩く家族連れも子どもは一人が多く、一人っ子政策を実感しました。一方で、汚い身なりの子どもたちが、何人も連れ立っている姿もありました。市街は古い建物を取り壊し、新しいビルに変えています。2010年の万博会場は、国営工場を移転させた跡地で行われるそうです。今回の小旅行は、我が国がたどってきた道を改めて振り返る機会になりました。

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