教育委員だより No.166

                                                                  平成181213

                                        教育長 副島孝

体罰と『<教育力>をみがく』

体罰事件に関連して、開催中の市議会でも厳しい質問がありました。お叱りを受けるのも当然のことだ、と受け止めています。一方で、体罰をなくすことも、容易なことではないと感じています。体罰が法で禁じられていることは、教師なら誰でも知っていることです。それでも起こるところに、この問題の難しさがあります。

個々の教師が「教室」という密室の中や様々な場面で、個人的力量によって指導する場合が多いのが、学校というところです。いくら相手が子どもの仕事とはいっても、腹の立つ場面や許せないと思ってしまう瞬間には事欠きません。虐待事件などとも通じる一面です。暴力で服従させるような人間関係を望む教師や、法律など守らなくてもいいと考えている教師はいませんが、それでもなかなか防ぎにくいのがこの問題です。

世間では、愛のムチだからとか、子どもが悪いことをしたときにはそのくらい強い指導があって当然、という意見も少なくありません。なかには、「最近は体罰を避けるサラリーマン教師が増えて困る」などという声さえ聞くこともあります。多くの教師が体罰の苦い経験を持っているのが現実です。だからこそ、体罰に頼らない専門家としての指導力を、何とか身につけたいと思っています。

体罰を防ぐには、「叱る」「注意する」以外にも指導の方法を持ち駆使する教師になる、力わざを用いない指導を学校ぐるみで実践する以外には不可能だと、私は考えています。そんなときに頭に浮かんだのが、最近読んだ『<教育力>をみがく』(家本芳郎、寺子屋新書)です。著者は以前から随分学ばせてもらった方ですが、今も次々に本を出してみえます。

家本さんの本は、建て前ではなく実際の参考になる点が多いのが特長です。たとえば、「私語を注意したら、その子どもに反抗された」という事例が出ています。「何しゃべっているんですか。おしゃべりやめなさい」「うっせーな」という場面です。9つの指導法が紹介されています。「うるさい。おしゃべりやめろ」と怒鳴るのは、そのうちの一つでしかありません。家本さんは、この方法を「作用・反作用の法則」だと評しています。つまり、「力を加えると、同じ大きさの反対方向の力が作用する」と。

力で指導する教師が個人的には指導できていたとしても、同じ学校の力に頼らない指導の先生のところにしわ寄せが行っています。学校は、どの教師の指導も成立しなければ、子どもたちが伸びないところです。力に頼るのではない指導を学び合う教師集団が、よい学校を作ります。うまく回り出すと、今までどうしても解決できないでいた問題までよい方向に向かうのが、組織というものです。そんな組織としての学校を、私たちはめざしています。

目次へ戻る