教育委員だより No.178

                                                               平成19426

                                        教育長 副島孝

4月の誓い

年度初めは、どんな仕事でも忙しいものです。年度初めに開かなければならない会合は少なくありませんし、事務的な仕事も山のようにあります。そんな中でも、この時期にこそやらなくてはならないこともあります。たとえば、初任者研修や新任校長や教頭の研修などです。また、何度も出席はできないのでこの時期に、というものもあります。私に関して言えば、教育研究会の全体会、教頭会議、教務主任・校務主任会議などへの出席は、年に一度の場合が多いのです。

今年度は、ほとんどの会合で共通した話を入れました。それは、全学校、全教室での「学び合う学び」の実現を、というものです。今さら言うまでもないですが、と言いたいところですが、現実には「学び合う学び」を実践している人はもちろん、少なくともイメージできる人も少数派です。これほど確実に、学力向上をもたらし、不登校を激減させている(しかも市内でその実際の姿も見られる)のにです。

そこで、やや強引な方法だとは思ったのですが、全員の先生にグループウェア(昨年度やっと教員一人1台のパソコン配置ができました)を通じて、「小牧市教育委員会のめざす学び」と題するファイルを送りました。やることばかりで多忙を極めている現場だからこそ、これを中心に据えるのだというものを明確にするためです。やった方がいいことに振り回されて、やらなければならないことが不明確になりがちな現実を見据えてのことです。

市内全員の先生方にお話しできる唯一の機会である教育研究会の全体会では、少し前に読んだ齋藤孝さんの本『教育力』に「学び合う学び」にぴったりな部分があったので、引用させてもらいました。

(松下村塾の)授業の仕方は、一方向的な講義ばかりではなく、議論を重ね合う気風であった。松陰自身が若かった(25歳で塾を引き受け、29歳で死罪)こともあり、共に学ぶ空気が塾の気風としてあった。

松陰の内側に燃える情熱は激しい。しかし、生徒たちへの接し方は、穏やかで優しく、友のようであったという。生徒の一人、天野清三郎の証言によれば、「怒ったことは知らない。人に親切で、誰にでもあっさりとして、丁寧な言葉遣いの人であった」ということである。生徒たちを激烈な言葉で不安に陥れたり、その反動で自分に依拠させたりといったマインドコントロール的な手法とは対照的な人間関係の作り方である。

同じ本の中には次の文もあり、我が意を得たりという気がしました。

教師の教育力を見たいのなら、先生の言っていることよりも、教室の前のほうに立って生徒の顔を見ていたらわかる。生徒がどれくらい集中しているのかということで、その先生の教育力がわかる。一応授業の形をとっていても、生徒の頭がはたらいていないで眠っているとすれば、教育として意味がない。

百数十年前の、しかも今で言えば若造としか言えない年齢の人ができたことを、現在の私たちにできないはずがない、と思います(条件が違うことは重々わかってはいますが)。現場ができること、現場でしかできないことをやろう、と固く誓った4月です。

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