教育委員だよりNo.199

                                                               平成2017

                                        教育長 副島孝

元旦の対談記事から

中日新聞の元旦号に、鷲田清一氏と内田樹氏の対談が掲載されていました。この対談については、内田氏がご自身のブログで「お正月向きの大学人」と題して書かれていましたので、楽しみにしていました。「・・・というような話で盛り上がるが、もちろんこんな話は掲載されぬであろう」とありましたが、さすがプロの編集は見事なもので、読ませる内容に仕上がっていました。

「幼児化する日本人をどうやって成熟に導くのか」という包括的なテーマで話し合ったそうですが、そもそもお二人の「子ども」の定義自体がユニークです。それは、年齢や地位にかかわらず、「システム」に対して「被害者・受苦者」のポジションを無意識に先取するものを「子ども」と呼ぶ、というものです。だから、「システム」の不都合に際会したときに、とっさに「責任者出てこい!」という言葉が口に出るタイプの人はその年齢にかかわらず「子ども」である、とするのです。

内田氏は、こうも書いています。「ここ変だよ」といくら叫び立てても、機械の故障は直らない。故障は「はいはい、ここですね。ではオジサンが・・・」と言って実際に身体を動かしてそのシステムを補修することが自分の仕事だと思っている人によってしか直せない。現代日本は「子ども」の数が増えすぎた社会である。もう少し「大人」のパーセンテージを増やさないと「システム」が保たない。別に日本人全員に向かって「大人になれ」というような無体なことは言わない(そういうめちゃくちゃなことを言うのは「子ども」だけである。「大人」はそんな非常識なことは言わない)。(今は「大人比率」が20人に1人くらいまで目減りしてしまったので)まあ、5人に1人か、せめて7人に1人くらいの割合で「大人」になっていただければ「システム」の管理運営には十分であろうと私は試算している。

以上のようなことを頭に入れて対談を読むと、実に明快に理解できます。だから、次のような発言が飛び出してくるのでしょう。(国の)教育や医療などさまざまな審議会の答申で、現実にできそうもないことをずらっと並べているのが目につくけど、全く無意味ですね。何ができて、何ができないかすら明確でない。マスコミの記事も軽い言葉だらけでしょ。「共生」とか「地球に優しい」とか「対話」とか。

哲学者は気楽でいいなあ、と受け流すことも可能です。しかし、自分もこの「社会システム」を構成する一員であり、「大人(でありたい)」と思うならば、「大人」を育てる(「大人比率」を高める)ために、自分自身は何ができるかを問わなければなりません。とりあえずは、無難に、問題なく、に安住しない教育(子育て)をめざしたいと年頭に考えました。

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