教育委員だよりNo.200

                                                               平成20122

                                        教育長 副島孝

ずっと心に残っている本

いろいろなところで書評に取り上げられているが気になって年始に読んで以来、ずっと心に残っている本があります。それは『滝山コミューン 一九七四』(原武史著、講談社)です。著者は『大正天皇』(これもなかなかおもしろい本でした)を書いた政治思想史の研究者です。自分自身の体験を材料に歴史を記述するという、興味深い試みです。戦後教育への批判ともなっていますが、ごく一般的な戦後教育批判とは一線を画します。

戦後の「民主教育」は集団のために個人を抑圧するものだった、と著者は自己の体験から主張します。だからこそ、次のような記述がなされます。

二〇〇六年十二月に教育基本法が改正される根拠となったのは、GHQの干渉を受けて制定されたために「個人の尊厳」を強調しすぎた結果、個人と国家や伝統との結びつきがあいまいになり、戦後教育の荒廃を招いたという歴史観であった。だが果たして、旧教育基本法のもとで「個人の尊厳」は強調されてきたのか。問い直されるべきなのは、旧教育基本法の中身よりも、むしろこのような歴史観そのものではなかったか。

舞台となったのは、東京郊外の団地にできた小学校です。そこで行われた「民主教育」の中心は、全生研(全国生活指導研究協議会)による班づくり・集団づくりの実践です。書名にある「一九七四」は、著者は小学校6年生だった1974年(昭和49年)をさします。実はこの年私は教員6年目で、民間教育運動が盛んであった時代の渦中にいました。教育方法について、多くのことを学んだ時期でした。傾倒していた齋藤喜博による陸軍の内務班方式だとの批判や指導方法への違和感が強く、全生研方式はほとんど取り入れませんでしたが、実践している人が周囲にはいました。

先日、教務主任・校務主任の合同研修会があり、50人の参加者に「全生研」と聞いてもイメージの沸かない人を尋ねたら、8割以上の人が挙手をしたのに驚きました。少なくとも50代の人は当然知っていると思っていましたが、時代は変わったと思いました。しかし今でも、4人グループでの学び合いを取り入れた学校での研究協議で、「子どもたちのグループでの話し合いを活発にするために、まず班長をしっかり指導して」などという発言は、どこの学校でも聞かれます。若い世代の先生からも聞かれますから、ある意味で自然発生的な集団の統制方式であることがわかります。

当時の全生研方式の特色だった班競争では、目標を達成できない班をビリ班とかボロ班と呼んで批判を加えました(現在の全生研では、この方式は克服されていると思いますが)。著者はこの集団づくりの指導に追いつめられながらも、抵抗を続けます。しかし、親しかった友人たちも集団の側にまわり、最後には自己批判を強要されるまでの事態に陥ります。先生やその指導のもとに集団化した子どもたちから見れば、孤立しても同調しない著者は協調性のない異端児だと思われたのでしょう。

著者は当時の先生や子どもたちに会い、当時どう感じていたのかを調査します。このあたりは歴史家としての著者の追究心を感じるところです。当事者だった先生や子どもたちがどう答えたかは、興味深いものです(関心のある方は、実際に本にあたってください)。しかし、それよりも私には、同じような事はいつでも起こりうるだろう、と思えることの方に関心があります。良かれと思ってやっていることでも、受ける側がどう受け止めているのかはわかりにくいものです。子どもの気持ちになって、などと安易に使ってはいけないと痛感します。

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