教育委員だよりNo.212                      

平成20611

教育長 副島孝

スーパーティーチャー考

市議会本会議での質問で、スーパーティーチャー制に関する質問がありました。この答弁を考える機会に、以前から漠然と考えていたことを整理することができました。この制度は「授業名人」「エキスパート教員」など名称はさまざまですが、各自治体が指導力のある先生を選定し、他の先生方の指導力向上に役立てようとするものです。団塊世代の大量退職に対する、教育技術の継承策の側面もあるのでしょう。

そういえば最近マスコミで、すぐれた教室での実践が紹介されるようになりました。問題点ばかりを指摘してみんなを暗い気持ちにさせるよりもはるかによいことだと、私は好意的に受け取っています。小牧市内にも、すぐれた実践で知られている先生は少なくありません。

あこがれの教師がおり、それをめざして日々努力することが、私を含め教師の自己研修でした。それを否定するつもりは毛頭ありません。日本の教育界の素晴らしい伝統だと思います。しかし、現在の私の立場からは、むしろあまり強調しない方がよいと考えるようになりました。

冷静に考えてみると、そのように努力したからといって、誰もがそんな教師になれるわけではありません。教師の指導力は、その教師の個性と密接に結びついています。まったく同じ言葉で指導したとしても、子どもたちは同じようには受け止めてくれるわけではありません。また、すぐれた教師だからといって、他の教師にそのノウハウをうまく伝えることができるとは限りません。

スーパーティーチャーをめざして努力してもなれるわけではないからこそ、スーパーティーチャーであるのです。個人的な目標とすることは各人の自由ですが、行政がそれを強いることは避けるべきだと考えるようになってきました。特に学校で行われてきた、すぐれた教師の実践と比較してどこがいけないかを指摘し合う授業研究は成果を上げていない、と思うようになりました。

そこで取り組んだのが、子どもの学びに着目して授業を見直すことです。子どもの学びは、(どういう事実に着目するかがわかるようになると)目に見えるからです。だから、スーパーティーチャーをつくり出すことよりも、「学び合う学び(教師同士の学び合いを基礎とする、子ども同士の学び合いを取り入れた授業)」をめざすようになったのです。

しかし、力のある教師が不要なはずはありません。授業をきちんと分析し、(悪い点を指摘し合って士気を下げるのではない)研究協議を行うことは必要です。そのためには、すぐれた実践ができるだけでなく、すぐれた分析(言い換えれば授業の見方)ができる先生が必要です。そういう先生の養成を、小牧市では名古屋大学大学院の柴田好章先生の助言を受けながら、応募制のWeb教育研究所研究員の研修会という形で行っています。

研究員の中から、夏の研修の講師を務める先生が出てきています。また、各学校での授業研究の質も向上してきていると感じています。グループに分かれた研究協議での、具体的な子どもの名前の出る熱心な話し合いは、教室で行われる授業を着実に高めることに結びつくと感じています。

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