教育委員だよりNo.214                                                                                            

平成2071

教育長 副島孝

前期の学校訪問終了

『はるか★プラス』誌の7月号に、角田明先生(「響の会」会長、元茅ヶ崎市立緑が浜小校長)の提言が載っていました。新学習指導要領への移行期間を「教員の意識改革」のチャンスと捉え、「授業の研究・分析会」を充実させることを優先して考えたいという提案です。角田先生には小牧市に来ていただいたこともあります。今は亡き浜之郷小の大瀬校長と並び、茅ヶ崎市の教育を牽引した方です。

その提案のなかに、全国多くの学校で見られる授業研究のようすが紹介されています。教室の周囲に用意された椅子に座って(なかには居眠りをする人もいるそうです)、「観ても視なくても言える『感想』を『お礼』として堂々と発表する教員がいる」と。何年か前まで小牧市内の学校でも見られた光景です。角田先生は参観者を、「授業研究の成否」のキーパーソンとしての「観察者」であると規定しています。

「焦点化された学習者」に視点を当てて視る、「観察者の力量」が要求されているとも指摘します。主観を入れない観察メモを、観察者が各自で記入して研究分析会場に一覧として添付して分析してみる手法を提案しています。小牧市内の授業研究で強調されている、「子どもの事実」に基づいた研究協議と共通することだと捉えました。

さて、昨日を以て前期の学校訪問が終わりました。授業研究の様子は一変しています。付箋紙にメモした子どもの事実を基にした、グループ討議が定着しています。決して一般論が無くなったわけではありません。研究協議で話されていることが、各教室での授業とつながっているのか疑問に思える場面も少なくありません。

しかし、焦りは禁物です。うまい授業、ほれぼれするような指導を望んでいるのではありません。子どもたち同士が無理なく関わり合っている、つまり学び合っている授業を望んでいるのです。抽象的なようですが、実際の教室を見れば誰にでも判断できることです。前期の最終回である昨日の教室では、発言する子どもにクラス中の視線が集まっていました。耳を傾けてくれる教室で発言できる子どもは幸せです。

こういう雰囲気がかもしだされる学校では、不登校や問題行動などが減るのは当然です。毎月のように授業を見合う習慣のできている学校では、子どもたちも参観者を自然に受け入れているのがよくわかります。教室の前から授業を見ていても、違和感がありません。だから、いつの間にか、授業をやっているような気持で見ている自分を発見したりします。学校の授業研究はそうありたいものです。

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