教育委員だよりNo.217                                                                                            

平成2086

教育長 副島孝

発達障害の研修会から

夏休みには、各種の大会とともに研修講座が数多く開催されています。最近は研修講座のなかでも、発達障害を中心とする特別支援教育関係が大盛況です。先日は、岡山大学の佐藤暁教授を講師とした研修会が開催されました。日程の都合がつかないので実施困難かと思われた時期もありましたが、何とか実現することができました。

幼稚園・保育園の保育者から小・中学校の教師までと、幅広い参加者でしたので、佐藤先生も大変だったことでしょう。お陰で盛りだくさんな内容となりました。内容は大きく分けて2つでした。1 発達障害児への教え方・練習のさせ方の工夫(見えないものを見えるようにすること、これを「構造化」と呼んでみえました)、2 発達障害児も含め、すべての子どもの学びと育ちを保証する授業・保育づくり(発達障害傾向の子どもがいる通常の学級でも必要なこと)の2つです。

1については、すでに数多くの実践やノウハウがさまざまなメディアで提供されていますので、知識として持っていた人は少なくなかったはずです(先回取り上げた『光とともに…』など、その手のノウハウ満載です)。しかし、佐藤先生のお話はもっと現実的です。たとえば、紙でつくった剣でチャンバラがやりたくて仕方のない子に、「今はまず給食を食べて、その後にやろうね」と伝える場合に、@食べます―――→Aかたいかみ6まいと紙に書く(これが見えるようにする「構造化」のひとつ)のではなく、Aを書いて納得させ、その後で―――→@を書くのがコツだとのお話でした。

こういう、聞く者を納得させるお話や写真・ビデオは、具体的に「困り感」(佐藤先生の造語、ただし指導者ではなく子どもの「困り感」であることに注意)をもっている子どもに接している人には好評だったようです。参加者のふりかえり用紙にも、もっと詳しく聞きたかったとの感想がたくさんありました。しかし、佐藤先生はそのような個別支援が、いわゆる絆創膏貼りの繰り返しになってはいないかと指摘されました。

「授業のなかで困っている子どもは授業のなかで救おう」を、さらに一歩進めて「すべての子どもの《学びと育ち》を保証する授業づくり」により、発達障害の子ども含めすべての子どもたちによる学び合う授業を実現しようと呼びかけられました。これは、小牧市の各学校で実践している「学び合う学び」と結びつくものです。特別(「特別」はあまり使いたくないとのことでしたが)支援教育と学び合う学びは別物ではない、と強調されました。

2時間があっという間の充実した研修でしたが、研修を受けたから何かが変わるというような楽観的な見方を私は持っていません。事前に関連する学習(たとえば佐藤先生の『発達障害のある子の困り感に寄り添う支援』などを読んでくるとか)をしてきた人は、理解できる点、納得できる点、学び取る点が多かったことでしょう。しかし、この研修を機会に自分からこの分野を学ぶことが始まれば、それは素晴らしいことで、本来研修はそれをねらいとしています。

私も最近『発達障害の子どもたち』(杉山登志郎、講談社現代新書)を読んで、実際に成人するまで継続的に臨床に関わってきた著者だからこその記述に、大いに目を開かされました。さらにもう少し詳しく知りたいと思い、同じ著者の『発達障害の豊かな世界』も読んでみました。また、高機能自閉症の大人本人が書いた『僕の妻はエイリアン』(泉流星、新潮文庫)を読みました。この著者が子どもだったころは、そのような診断などないどころか、育ちが悪い、性格が悪いとイジメの対象にもなったようです(結局30代後半になって、高機能自閉症と診断されそうです)。大人になった今でも、こんなことに不安を感じながら生活しているとの記述は、とても参考になりました。

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