教育委員だよりNo.218                                                                                            

平成20818

教育長 副島孝

研修を受ける態度

夏もようやく峠を越したのかなと感じるようになりましたが、相変らず暑い日が続いています。この暑い夏は、教育界では研修の季節でもあります。しかし、世間一般では「研修」という言葉は、必ずしもプラスのイメージで使われているとは言えません。「あーあ、今日は一日研修だ」には、少なくとも積極的なニュアンスはうかがえません。

だからこそ、参加したくなる研修内容、参加したくなる講師のラインナップなど、計画する側も工夫を重ねます。小牧市の研修では、市内の先生が講師役になって行う授業づくりの研修会も開かれています。特に今年は、20代の若手の先生に講師役をお願いする(実はベテランの先生がサポート役に付いている)という試みを始めました。少しだけ覗きましたが、模擬授業やそれを基にした話し合いなど、良い雰囲気で行われていました。参加者の年齢も幅広く、安心しました。

さて、ときどき覗く内田樹さんのブログで教師の受講態度について、興味深い文章が載っていました。自分も教室では授業をしている立場の教師が、受講する側にまわると会によって天と地ほど態度の違うことが、例によってワサビのきいた文章で述べられています。講師を務めた経験のある方は、誰も同じような経験をしているのではないでしょうか。さまざまな分野の会で講師を務める内田さんの目から見ると、教師の受講態度は特別なようです。

来年からは、いよいよ教員免許状の更新講習が正式に開始されます。義務化という、研修態度の面からはプラス効果が望めない方式がとられることになります。もちろんこのような方法をとらざるを得なかった現実が、一部にはあることは事実です。また、会計士など高度な専門職の世界でも、実質的に義務的な研修を年間数十時間受けているという話を聞くと、実施することは意義があるとも思います。

どのような研修の形態をとるにしても、目的の達成は意欲的に参加できるか如何にかかっています。受講する側になるということは、教室での子どもたちの立場を体験するということです。教師の研修ならば、講師になったり受講者になったりすることも意味があるのではないでしょうか。残された夏休み、学校や研究会などで有意義な研修を積まれることを期待しています。

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