教育委員だよりNo.226                                                                                            

平成201128

教育長 副島孝

学校訪問を終えて

昨日の三ツ渕小学校を最後に、今年度の学校訪問が終わりました(当然ですが、各学校での授業研究は続きます。米野小学校などでは、3学期にも公開授業研究会が計画されています)。この機会に、私なりに今年度の学校訪問のまとめをしておきます。

授業自体を、子どもたちの人間性を育て学力をつける場としたいとの思いから、「学び合う学び」を呼びかけて2年が経ちました。子どもたちが先生の説明を聞いて、先生に答えるだけという授業は、本当に少なくなりました。4人の男女混合(市松模様)のグループを取り入れる授業がほとんどになりました。コの字型の机配置もかなり一般的になってきました。

もちろん全部が全部、中身が伴っているわけではありません。5人や6人のグループにしているために、思うように活動に参加できない子どものいる学級もあります。男女混合でないため、グループによって学び合いのばらつきの目立つ学級もあります。一人ひとりの子どもたちの学びを確かなものにするためではなく、集団として一つの結論を求めるようなグループ活動も、相変らず目につきます。

それでも多くの学校で、具体的な子どもの学びの姿を語り合う研究協議が行われるようになってきました。研究授業で教室の後ろから子どもたちの後ろ姿を眺めていたことから、前や横から子どもたちの表情や視線に注目し、学びの状態を見るようになると、協議が具体化します。机はコの字型になっているのに、子どもたちの視線は発言者ではなく先生や黒板を見ているのなら、必ずその原因があるはずです。一般論でなく、その学級に即した議論が始まります。

毎日の授業を通じて、男女の協力が当たり前になったクラスには、柔らかい雰囲気がただよいます。担任の先生の力だけで子どもが育つという考え方は、家庭だけで子どもが育つと考えるのと同じく、傲慢で実態に即していないと思います。自分自身を思い起こしても、友達や地域や社会との関わりのなかで育ちました。友達との学び合いの力は、想像以上に大きいものです。

よく言われるPISA型の学力も、個人では学び得ないレベルへのジャンプを抜きには考えられません。簡単なことではありませんが、そういう学びを組織している学校が増えています。あらかじめわかっていることを発表し合うだけ、書いたことを述べ合うだけでは、そんな力は育ちません。そういう意味では、やはり先生の力は重要です。飛び抜けた名人技は要りませんが、現実に学びながら子どもたちを導く努力は必要です。

年度初めにグループウェア上で、「小牧市教育委員会のめざす学び」という文章を全員の先生に読んでいただきました。この時期にもう一度読んでいただけると、きっと感じること考えることがあると思います。教室での指導は、基本的には先生方に委ねられています。私たちの訪問は、学校の営みの中では短時間に過ぎません。子どもたちと先生たちとが共に学び合う学校をつくるために、学校訪問が少しでも役立ったなら幸いです。

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