教育委員だよりNo.228                                                                                            

平成201218

教育長 副島孝

職人的価値観

人がみんな同じような考え方をするものではないということは、大抵の人が知っていることです。ところが自分のことを中心に考えていると、そのことを忘れがちになります。私がこういうことを感じるようになったのは、小学校教員から初めて中学校へ転勤して数年経ってからです。30歳頃のことですから、ずいぶん遅いとも言えます。中学校には、進路指導という分野があります。その中で、どうも価値観の違う(もちろん善悪ではなく)子がいるなあと思うようになりました。学校の勉強の先に進路があるという発想のない子たちです。

多くの子どもたちは(教員も含め大人たちも)、学校の延長上に進路を考えています。しかし、見事に切り離して考える子が(当時は大人にまで目が行っていませんでした)いるのです。それがいわゆるサラリーマン的な人生を考えていない、職人(自営も含む)的な生き方を考える子だと気づくまでには、しばらく時間がかかりました。こういう子たちは、学校的な価値観にも染まらないところがありました。だから、問題児という見方をされる場合さえありました。

学校で教える内容には、サラリーマンの価値観に通じるところがたくさんあります。例えば、組織の一員として協力する、休んだり遅れたりせず勤勉に努力するなどです。サラリーマン的(言うまでもないことですが、この分け方は便宜的なものです。例えば教師の仕事には、職人技的な側面があります。おそらく他のサラリーマンの仕事でも、同じことが言えるでしょう)と言うと、価値が低いように受け取る人がいますが、私にはそういう気持ちは全くありません。私を含め多くのサラリーマン的価値観の人が、今の社会を築き上げたと思っています。逆に、今の教師はサラリーマン化している、などという言い方で非難する人は、私の知るかぎり皮肉なことに典型的なサラリーマンタイプの人ばかりでした。

サラリーマン的価値観(≒学校的価値観)の子どもだけではないとわかっただけで、私は少し余裕をもって子どもに接することができるようになりました。人はどうしても無意識の内に、自分の価値観を絶対視しがちです。自分の考え方以外は認めないというタイプの人を、私自身は尊敬などとてもできません。別の考え方をする人が当然いると思うことで、他人に自分の価値観を押しつけることを避けたり、効果的な説得方法を考えたりすることができるようになると感じています。

職人(独立心の強い自営業、起業家も含め)的生き方をする人は、どんな社会にも必要です。しかし、サラリーマン的な価値観(の家庭)で育った人が、職人の世界で一人前になるのは大変なようです。今や職人への弟子入りでも、親の付き添いが当たり前だそうですから。こんなことを改めて考えたのは、いま旬の落語家である立川談春が書いた『赤めだか』(扶桑社)を読んだからです。

評判通りのすばらしい作品です。自分自身の落語家としての修業時代を描いたものですが、矛盾のかたまりのような天才、談志率いる立川流の世界が目に見えるようです。談春は典型的な職人家庭で育ちました。大学へ進むなどという考えは全く持っていません。自分自身で、落語家(本当になりたかったのは競艇選手)をめざしました。職人的な生き方を知る意味で、とても参考になる本です。

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