教育委員だよりNo.235                                                                                            

平成21318

教育長 副島孝

高校の先生の書いた本

先回に続いて高等学校のお話です。高校の先生が書いた本を3冊、続けて読みました(再読もあります)。3冊とも、自分で買ったのではなく贈っていただいたり、貸していただいたりした本であるところに、私のこれまでの関心の低さが出ており、反省しきりです。まず『普通の生徒を伸ばすロマン』(鈴江昭、文芸社)は、「テーマ性のある普通科」の実践とサブタイトルにあるように、普通の生徒を伸ばすロマンを追求する校長の実践記録です。統廃合の動きに危機感を抱いた府立高校の校長が、中長期的なプランを立て実行していく姿は、校種に関わらず共通するものがあります。

続いて『あたりまえの授業への挑戦』(日野泰圓、学事出版)は、岐阜県で長く県立高校の国語教師をされていた方の著書である。いい授業、またその実現への努力は、高校でも小中学校でも変わらないなと思わせられます。「好きで勉強する者はいないよ。その苦痛に耐えてこそ、成長できるんだ」などという逃げ口上にあぐらをかかないで、「楽しく、よくわかって、力のつく授業」をめざそうと具体的に記述され、説得的です。

最後の『学びをつむぐ』(金子奨、大月書店)の著者は、首都圏の公立高校で社会科を教える先生です。「高校学びの広場」という、小牧市でも全市をあげて取り組んでいる「学び合う学び」(著者は協働学習という言葉をつかっている)を実践するグループに所属の方です。高等学校で一担任として、少しずつ学びの輪を広げていく姿が描かれます。同僚との会話が、それを物語ります。

「この前、自分の予定からは外れてしまったんだけど、生徒の疑問に応えるようにして授業をしたら、すごくいい感じだったんですよ」「その場合、すごく力量がいりますよね」「そう、だから、そこにこれまでにはない専門性が要求されるわけ。これまでの授業は、教師のプランどおりの導入−展開−まとめっていう予定調和的な、プログラム的実践といわれるようなものだったけど、コの字やグループ活動を入れるとそうはいかないよね。授業ではいろいろは出来事が起きているから、それにたえず即興的に応答する判断力を求められてしまう」「そうすると教材研究とかどうなります。いろんなことを知らないとそんな即興的な判断なんてできないですよね」「だから教材研究の質も変わるよね。教師の知的なバックグラウンドは問われるしね」

「金子さんの授業の感想にもあったよな。やる気が出てきたって」「そうなんです。だから私も、協働学習に取り組んでみたいと思うんです」「それは分かる。でも、オレにとっては、アイデンティティの危機なんだよね。これを受け入れると自分が教師として築いてきたアイデンティティが危機に陥るんだよ」教えたいことがたくさんある。教えることで生徒をひきつけるのが自分の教師としての目標だったのである。「ぼくもコの字に取り組みはじめたころは、禁断症状に見舞われましたよ。ああ、しゃべりたい、教えたいって。もう慣れましたけど。それに前任校の三年間でぼくは、教師の影響力は違うかたちでも発揮できることを確信しましたよ。昨年度の生徒たちは、なんというか、はじめて教え子と呼べるような気がしますね」

「そうだよね。ひとつの授業を学年団全員で観たあとに、教室の事実にもとづいた話しあいをしたいよなあ」「だって、それがないとほとんど意味がないじゃないすか」「だよね。でも、校長がリーダーシップを発揮してくれないと、難しいんだよね」授業検討会とセットになった公開授業が、生徒の学びを保障し、教師の専門性を磨く要になることは確実である。個々の教師の授業改革では不十分なのだ。さまざまな教師が、公開された教室の事実で繋がることによって、学校が公共圏として再生するのだ。それは生徒たちが教材を仲立ちにしてかかわり、新たな質の関係性を築いていくことと同じなのである。

このような学習を取り入れた、全国のどの学校でも繰り返された会話が、ここにもある。その一つひとつが必要なプロセスなのである。おもしろいことに、日野さんと金子さんの著書に、共通している箇所がある。教師の声の大きさである。日野さんは教室の隅々まで届いて、しかも隣の教室に迷惑のかからない程度の大きさの声で授業を進めることは、教壇に立つ者のイロハですと書き、それが現実には忘れられていると嘆きます。大きすぎる声はかえって生徒の集中力を妨げ、頭の上を素通りして、逆に眠気を誘うことが多いものですと、指摘します。

金子さんは新任教師に対して、次のように書きます。声が大きすぎますよ。教師はたいがい声が大きいものですが、それは元気なほうがいいという先入観と、大きな声で話せば相手はよく聴くものだという思い込みがあるからでしょうか。しかし、大きな声には耳をふさぎたくなるし、生徒の聴こうとする集中力を失わせます。そして、何よりも思考が活発に動くためには静けさが必要ですよね。授業中のぼくの声はご覧いただいたように、とても抑えられているけれども、ちゃんと届いていると思いますし、生徒の小さな声も教室の隅にいても聞こえたはずです。大きな声だけが聴きとられ、小さな呟きが無視される社会は、居心地の悪いものです。

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