教育委員だよりNo.238                                                                                            

平成21421

教育長 副島孝

歴史を両面から見る

年度はじめには、さまざまな会の総会が開かれます。東海北陸都市教育長協議会も、その一つです。先週末、富山市で開催されました。その折りの記念講演は、福井県立一乗谷朝倉氏遺跡資料館の水野和雄館長による「一乗谷朝倉氏遺跡のみどころ」と題するものでした。初期の頃から一乗谷遺跡の発掘や復原整備に携わってきた水野館長のお話、そして翌日の現地での説明もよくわかり、朝倉氏の繁栄を想像することができました。

城の発掘にはまだ手も付けられていないという広大な遺跡ですが、私としては石垣の使われ方に目が行きました。もちろん小牧山城との比較が、頭にあります。時期的には少し前になるこの遺跡ですが(朝倉氏は1573年に、約100年間の繁栄を織田信長軍によって終えます。ちなみに小牧山城の築城は1563年です)、朝倉館や武家屋敷などに石積みが目立ちます。実用のためだけでなく、偉容を表現するために石垣を多用するのは、戦国大名(朝倉氏が戦国大名か守護大名かは微妙だそうですが)に共通しているようです。

2日目の午後、越前町(その中の旧織田町にある)の劔神社に出かけました。織田信長サミットの参加市町の中で、一度も足を踏み入れたことのない町の一つです(他の一つは群馬県甘楽町)。織田姓発祥の地で、織田信長も氏神として崇敬した(信長自身は直接足を運んだことはないとの、解説してくださった宮司さんのお話でした)として知られる劔神社には、江戸初期の墨書のある立派な本殿があり、歴史を感じさせます。

翌日の日曜日に行われた、4月から新しいクールに入った連続歴史講座は、奈良大学の河内将芳教授による「京都の人から見た織田信長」でした。前2日間、朝倉方から見ていた歴史を、この日は信長方から見たことになります。特に信長が浅井朝倉連合軍に敗れ、和睦に際して詫び状まで出した元亀元年の争乱に関しては、とりわけ興味深く聞くことができました。

織田信長サミットに関しても、各地の教育長との情報交換の中でいくつかのアイデアを思い浮かべることができました。実行委員会などでも、検討してみたいと考えています。なお、サミットに合わせて、文化財資料研究員会の皆さんにより『織田信長と小牧』が出来上がりました。類書にはない内容になりました。近日中に、文化振興課と歴史館(小牧城)で販売が始まります。

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