教育委員だよりNo.246                                                                                            

平成21727

教育長 副島孝

本当に久し振りに斎藤喜博

『いま問い直す斎藤喜博の授業論』(井上光洋著、北川金秀編、一莖書房)という本を、読みました。分類からいえば、研究書に入るのでしょう。著者(2000年に死去)も、編者も知らない方です。生前の著者をよくご存知の研究者から、著者の研究方法とこの本の存在を教えていただいたことが読むきっかけとなりました。

斎藤喜博氏(1981年に死去)には、いくつもの思い出があります。まだ若かりし数年間、斎藤氏の実践記録や著作を読んで、自分なりの実践に生かしたりしたものです。斎藤氏の指導する学校のいくつかを訪れ、授業を指導する場面を見たりもしました。この本には、「斎藤喜博の横口授業や介入授業」が分析されています。斎藤氏への興味が消えるきっかけとなったのが、介入授業や斎藤氏の周囲にいた教育学者に対する不信や不満であったことを考えると、皮肉です。

著者は、斎藤氏に直接会ったことはなかったそうです。そんな教育工学の専門家であった井上氏が、斎藤喜博にのめり込んだのは不思議な気がします。しかし、「授業を伝達可能なサイエンスとして受け止めていく」「結果の良し悪しといういわゆる評価(evaluation)よりも、教授・学習過程のそれぞれの時点でとることが可能な授業展開と教授行動を予測し、その中から最適なものを選択していくという教授行動の選択に焦点をあてた評価(アセスメントassessment)の概念を適用する」という記述に見られるように、独自の観点から(つまり、これまで他の教育学者がとらなかった方法で)斎藤実践を分析します。

授業のようすを示す部分的な記述や写真集などから、授業を復元していきます。「出口論争」(これも今や私たちの世代にしか通じないかもしれませんが、戦後最大の教育論争)に関して、「論争となった授業がどのような授業展開や過程であったかということは全く論じられていない。この授業は明らかに斎藤喜博の横口授業であるのに、授業研究方法のひとつとして開発された島小学校独特の授業改善法について全く言及されていない」との指摘には驚かされます。

退職した後の斎藤氏が授業中に(つまり授業をうけている子どもたちの前で)授業者の発問を批判したり、言い換えたりする介入授業に、私自身は反発を感じていました(校長としての斎藤氏が校内で行う授業への介入は、当然のように感じていましたが)。賞賛するだけで、新たな知見を示してないように感じた教育学者への不信とともに、その後の私の教師としての方向が決まったように感じています。

長い間、斎藤実践とは離れていた私には、とても刺激的な内容の本でした。一度も授業を見ていなくても、授業を復元したり、写真集の授業写真の順序を確定したりする方法は、教育工学者ならではのものがあります。大村はま氏の実践も同じ視点から分析をはじめていたことを知ると、著者が亡くなったことは残念でなりません。しかし、まだまだ授業を解明する未開発のアプローチはあるのだと思わせてくれただけでも、読んだ価値はありました。

目次へ戻る