5月28日(火) 花火の日
- 公開日
- 2019/05/28
- 更新日
- 2019/05/28
全校
今日は朝から雨・・・。昨日までの暑さも収まり、5月らしい?気温となった。登校時には結構激しい雨が降り、当然のことながら傘をさしての登校。中には、「なんで雨なんか降るんだ・・・。」といかにも傘をさすのがめんどくさそうに、ぼやきながら通り過ぎていく子どもも・・・。でも、「水」は生命の源だ・・・、雨が降らなかったら大変なことになる・・・。さまざまな学習を通して、自然との共生の大切さをより深く理解していきたい。
今日は「花火の日」だそうだ。いつものようにHP雑学ネタ帳を開いて、なぜ今日が「花火の日」になったのかを調べてみた。すると、次のようなことが書かれていた。(以下引用)
1733年(亨保18年)のこの日、隅田川の両国橋付近で水神祭りの川開きが行われ、慰霊を兼ねた花火が打ち上げられた。これが「両国川開きの花火」の始まりであった。
この年は第8代将軍・徳川吉宗(1684〜1751年)の治世で、全国的に凶作に見舞われ、大飢饉になったうえ、コロリ(コレラ)が大流行して多くの死者が出た。この犠牲者の慰霊を兼ねて打ち上げられた花火は、やがて庶民の楽しみとして定着した。
その後、江戸を代表する花火師の屋号である「玉屋」と「鍵屋」が技を競うようになった。両国橋を挟んで上流を玉屋が、下流を鍵屋が受け持ち、交互に花火を上げる二大花火師の競演であった。この時、花火師を応援する声として「たまや〜」「かぎや〜」の掛け声が生まれた。
両国川開きの花火は、明治維新や第二次世界大戦、その後、昭和に入ってから交通渋滞など交通事情の悪化、隅田川の水質汚濁による臭害などにより中断された時期もあるが、1978年(昭和53年)に現在の「隅田川花火大会」に名称を変えて復活し、以後毎年開催されている。
「暴れん坊将軍」で有名な、徳川吉宗が凶作による大飢饉とコレラで亡くなった人々を慰霊するために始めたとということをはじめて知った。将軍吉宗が後生になっても民衆から人気があるのは、こんなことも理由の1つになっているのかもしれない。
今のようにダムなどの水を蓄える技術がなかった昔は、雨不足(水不足)=大飢饉となっていたに違いない。うっとうしい雨かもしれないが、雨に感謝する心を大切にしていきたい。