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「ABCDの原則」に想う〜集会編〜

公開日
2013/05/07
更新日
2013/05/07

総務委員会

先日の小牧中HPで、集会のときに発表をした生徒たちのすばらしい姿についての記事が掲載されました。

(小牧中集会での当たり前のレベル 5/1)

原稿を持たず、しっかり前を向き、堂々と自分の意見を述べる姿は、本当にすばらしいですね。
小牧中では、集会のたびに「当たり前」に見られる光景で、記事の中で校長先生も「牧中の集会においては、ノー原稿で前を向いて堂々と話すこと、これは当たり前のレベルなのです」とおっしゃっています。

「牧中生は本当にすばらしいなぁ」と感心した半面、少し気になることがあります。
それは「当たり前と言っても、誰にでもできることじゃないし、ちょっとハードルが高いよね」ということです。
この「当たり前のレベル」が強要されてしまうと、普段人前で話すことがあまり得意ではない子たちは、ますます尻込みしてしまい、なかなか自分から「発表してみよう」という気持ちにならないのではないか、と少し心配になりました。


舞台で発表する生徒たちは、普段から立派に行動できる子ばかりです。

もちろん、立派に舞台発表をしたこの生徒たちの中にも、すんなりとできるようになったわけではなくて、たくさんの練習を積んで本番に臨んだ人もいるでしょうし、がんばった努力の成果が発揮できた発表だったのだと思います。

でも、子どもたちは「そりゃあの子ならできるでしょう」と思って見ているだけで、「よし、自分もやってみよう!」とは思っていません。


子どもたちは、誰もが皆、すばらしい可能性を秘めています。
「鍛えれば子どもは強くなる」ということもありますし、本来は誰にでも「やればできる」ことなのかもしれません。

しかし、子どもたちはそれぞれ違う個性を持っていて、「得意なこと」「不得手なこと」もそれぞれ違いますし、さらにそのレベルも違いますよね。

引っ込み思案で、自分から何かを発信することが不得手な子どもが、勇気を出して何かの係に手を挙げてみようと思ったとしても、「その係は、みんなの前で発表をする機会があり、その発表はノー原稿でやらなければならない」となると、「自分にはそれはムリだから、やっぱり手を挙げるのはよそう」となってしまうかもしれませんね。


保護者としては、子どもに「自分から何かにチャレンジしてほしい」という思いを持っています。
我が子が「やってみよう」と思えるように、そっと背中を押したり、褒めたり、励ましたりしながら見守っていますね。

子どもに「やってみよう」という強い思いが芽生えたときに、目指すべき最終形として「ノー原稿」を目標とするのは、すばらしいことだと思います。

しかし、「やる気のタネ」をまいて水をやっている段階で、「やってみようかな」という小さな小さな芽が芽生える前から、あまり「ノー原稿」を意識しすぎると、小さな芽は成長してくれないかもしれないと思うのです。


お子さんのことを、一番よくわかっていらっしゃるのは、保護者の皆さんだと思います。
お子さんのペースに合わせて、お子さんと一緒に「やる気のタネ」を
育てていけるといいですね。