秀吉・家康と小牧・長久手の戦い
- 公開日
- 2022/11/07
- 更新日
- 2022/11/08
6年
6年社会「戦国の世から天下統一へ」のまとめ「秀吉・家康と小牧・長久手の戦い」。
秀吉・家康の唯一の直接対決「小牧・長久手の戦い」。にらみ合いが続いた小牧の戦いよりも長久手の戦いがクローズアップされがちですが、家康が小牧山に布陣し守りきったことが、その後の歴史を動かしました。
秀吉にとってこの戦いは、家康を臣従させて天下統一を果たしたスプリング・ボード。家康にとって小牧山は、秀吉に負けず次の天下人として地位を固めたスプリングボード。そして信長にとっても、天下布武へのスプリング・ボードであった小牧山。身近な地域にある小牧山をめぐる人々の動きが、天下統一への歴史(中央史)を大きく動かしました。
9か月にわたるにらみ合いの間に小牧山を扇の要のようにして周辺には多くの城砦が築かれました。日々教室の窓から目にする岩崎山しかり。校外学習でその頂に登った青塚古墳しかり。田縣神社に隣接する久保山は秀吉が足跡を残したことから「太閤山」と呼ばれました。
地域素材を教材化した学習を通じて、郷土の歴史に誇りをもつ子どもに育ってくれることを願っています。